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トップページ > 近代化遺産調査報告
河川中流域の水中貯木場跡・百々貯木場
矢作川における木材輸送
天野博之 CSIH会員(豊田市郷土資料館)
天野武弘 CSIH会員(県立豊橋工業高校)
大橋公雄 CSIH会員(中部産業遺産研究会)
佐々木 享 CSIH会員(名古屋大学名誉教授)
夏目勝之 CSIH会員(名古屋市工業研究所)
堀 恭子 CSIH会員(愛知県史編纂室)
  百々貯木場跡は、日本列島の中部に位置する矢作川の中流域に建設された、河川を利用した木材輸送の中継施設である。百々貯木場跡は上流から流された木材を集めて筏に組みなおし、再び下流へ送り出す地点に造られた。またこの施設は、ほとんど動力機械が導入されていない貯木場における木材の取扱い方について当時の様子を示している。この貯木場は、河川中流域に造られた「水中貯木場」としては日本で唯一の遺産であり、日本における林業史・河川の木材輸送の歴史を物語る土木構造物として非常に重要な意味を持っている。

1.はじめに
  百々貯木場跡は、日本列島のほぼ中央部に位置する現在の豊田市に所在する。この施設は、河川を利用した木材流送のために造られ、愛知県を南北に貫いて流れ、太平洋につながる三河湾に注ぐ矢作川の中流域において運用された。
  百々貯木場跡は、1988年に豊田市によって修復作業が行われるまでの約60年間は使われずに放置されていた。そのため貯木場の構造物は、いまだに1910年代の貯木場の姿を留めている。そしてこの施設を造った今井家には、木材取引に関連する文書が保管されてきた。
  われわれのグループは、百々貯木場のそれぞれの構造物が木材の取扱いにおいてどのような役割を果たしていたのかを考察するため、このし貯木場の構造物の配置や使用されている材料などを観察した。また建設日誌、機器や材料の購入にかかわる領収書など、残されていた文書の調査も行った。その結果は、百々水中貯木場が持つ重要な意義を示している。

2.百々貯木場建設の背景
  周知のように、日本ではかつてはほとんどの建築は木材と土で構築され、橋梁は木材と石材で構築された。木材は長大かつ重いため、山間部で伐採されると河川を利用して太平洋に面した河口まで運ばれた。しかしその後、河川改修、道路・鉄道の発達により、河川が物資輸送に果たしてきた役割を証拠付ける物件はほとんどなくなった。
  矢作川は古くから太平洋沿岸と山間地を結ぶ交通路として利用されてきた。下流からの舟運の終点は百々水中貯木場の付近であった。矢作川上流部は川幅が狭く急流であるため、上流部の山で伐採した木材は一本ずつ川に流す「管流し」の方法で百々水中貯木場およびその周辺まで運ばれ、ここで筏に組みなおされて再び下流へ流送された。百々貯木場は、18世紀後半から地元で材木商を営んでいた今井善六によって建設された。彼が水中貯木場を建設した目的は、木材を陸揚げすることなく集積できること、洪水時の流材を防ぐこと、夏場に木材の割裂を防ぐことなどであった。この水中貯木場は1918年に完成し、上流に越戸ダムが建設されたなどのため1930年にその役目を終えた。
図1 百々貯木場案内図
※画像をクリックすると拡大して閲覧できます。
図2 百々貯木場周辺図
※画像をクリックすると拡大して閲覧できます。

3.百々貯木場の概要
  施設の利用が終了した後、貯木場は放置され、河川から土砂などが流入・堆積し、半ば埋没状態にあった。埋没状態にあった貯木場は、1988から1993年にかけて豊田市教育委員会によって発掘されるとともに、傷んでいた擁壁などの補修が行われ、公園として整備された。また豊田市教育委員会は1997年に旧所有者から用地を取得し、貯木場跡を市の文化財(建造物)に指定した。
  補修を受けているとはいえ、貯木場跡は建設当時の原形がよく保存されている。百々水中貯木場跡の敷地面積は約6,300uで、そのうち池の面積は約5,000uである。現在、貯木場跡に見ることができる施設は、堤防・樋門・貯木池・木材引き上げ用スロープ・滑落場・木材の仕分け用突堤・製材所跡である。施設の主要な部分は人造石工法によって造られている。
  特に貯木池の保存状態は良好で、建設当時の原形が保存されている。貯木池内の突堤は大小6本あり、先端部部に杭を立てて差し込む穴が設けられている。また樋門は度重なる矢作川の洪水にも耐えてほぼ建設当時の状態で残っている。この理由としては強固に施工された基礎の上に切り石積みで築かれていることと、人造石の翼壁によって支えられていることが考えられる。しかし、樋門に続く堤防のうち矢作川に面した部分は破損が激しい。その他、製材所跡も人造石の土台がほぼ建設当時の原形を保っている。
図3 百々貯木場平面図(平成13年・豊田市教育委員会作成)
※画像をクリックすると拡大して閲覧できます。
図4 樋門立面図(平成15年・豊田市教育委員会作成)
※画像をクリックすると拡大して閲覧できます。

4.百々(水中)貯木場跡の文化財としての評価
(1)林業技術史の観点から
  元来、近代以前の日本においては、木材は建築物や土木構造物の最も重要な資材であった。今日まで残された数多くの木造の史跡、記念物などは、そのことを物的に立証している。また林業は日常の炊飯に不可欠の薪炭材を供給してきた。その需要も大きな地歩を占めていた。
  近代以前の時代にその材木を造出した伐採の過程、それを搬出する過程については多数の研究文献があり、また伐採の過程については、林業に関する研究のみならず、近年各地に設置されている博物館施設などで、物的面から立証する努力されている。しかしこの過程の有様を物的な面から後世に示し得るモノの有無という点では、機材・工具の収集に若干の努力が払われているものの、建造物、その史跡、記念物などは、林道や森林鉄道、またはその遺構くらいしか知られていない。そして、切り出された後の重量・長大物たる木材の輸送に関しては、河口の港から需要地たる各地に沿岸航路や運河を舟で運ばれたことは比較的よく知られているが、山奥から切り出されて港まで運び出す過程については、文献等の面からの研究はあるものの、物的面から立証する物件は、全国的に見ても全く残されていないようである。
  愛知県をふくむ各地の大きな河川では、まず山奥から切り出した材木を中流地域の土場まで河川で管流し、土場で筏に組み直してさらに下流域まで河川で輸送(筏流し)していたことが知られている。たとえば、現今の豊田市の矢作川流域にみられた土場は、管流しと筏流しの結節点であった。しかし、土場の存在を物的な面から立証する施設や記念物は、われわれの調査の限りでは、僅かな土場跡のほかは、目に立つ施設としては百々貯木場跡のみである。こうした点からみて、河川中流に建設された百々水中貯木場はこの結節点が存在したことを立証する貴重な証拠−記念物というべき施設である。
  ちなみに、大量の材木の生産・運輸のためには、一時的な貯蔵施設は今日においても不可欠である。今日の港湾や大きな河口における陸上あるいは水中貯木場の存在は、このことを立証している。これらに対して、百々水中貯木場は河川中流に建設された施設である点に重要な特色があることを重ねて強調しておく。
(2)水運の歴史の観点から
  近代以前はもちろん近代に入ってからも、河川はたんに治水の対象であっただけでなく、灌漑をはじめ多面的な役割を果たしてきた。ことに近代以前には、河川が運輸、交通に果たしてきた役割は、決定的に重要であった。しかし、近代に入って道路網・鉄道網が発達すると、運輸、交通の面で果たしてきた河川の役割は後景に退き、運輸・交通にとっては河川の存在はむしろ克服されるべき障害となった。治水工事や橋梁の発達こそは、障害を克服する手段であった。これこそが、土木技術の歴史であった。道路橋梁、鉄道橋梁は、近代化による河川の役割の転換を決定的に照査し、証拠づけている。反面、河川が運輸、交通に果たしてきた役割の転換を近代以前の側から照査し、証拠づける物件は、運河や土場跡を除くとほとんど遺されていないに等しい。このような背景において、百々水中貯木場は木材流送の結節点であったことを立証しているという点で、重要な意義を持っている。
(3)土木技術史の観点から
  百々貯木場は、歴史的にみれば、単に戦前に建設された施設として注目されるのみでなく、ダム出現以前の河川の活用形態としての施設であり、歴史的にはダム建設以後には消滅せざるを得ない時代への転換点に位置しているという特別な意義をもっている。
  河川中流域に設けられた貯木場は、県内のほかの河川にはなかった施設である。全国にどれだけあったかは今後なお調査しなくてはならないが、今日まで土木施設として残された土木施設は、河川との闘いや運輸の便宜のために構築されたものが多く、近年行われた土木学会の調査でも、河川中流域の水中貯木場はこの百々の施設をのぞくと皆無である。なおこの土木学会の調査は、百々貯木場に「国指定重要文化財に相当する」Aランクという高い評価を与えている。また、土木構造物としては、類例がない特別な施設で、そのため多くの場合「その他」と分類されている。百々貯木場がなくなってしまえば、物的証拠がなくなってしまうことも特筆される。
  その他、堅牢な人造石工法が採用されていることはこの施設の特徴の一つとして挙げることができる。また施設それ自体も美麗であると同時に、周囲に勝れた景観を提供している。

まとめ
  百々水中貯木場跡は河川中流域に開設されたいわゆる水中貯木場の跡であり、それが今日まで原形のまま遺された全国に例をみない施設である。その文化財としての価値は極めて高いと考えられる。しかし、河川に接して立地するこの施設跡を、文化財として恒久的に保存・公開するためには、解決すべきいくつかの困難な課題があることも事実である。関係者の真摯な協議を経てこの施設がもつ文化財としての価値にふさわしい保存・公開のための方策が探求されることを期待して、むすびのことばとする。
 
`The Doudo Timber Holding Pool Remains,Situated in the Middle Basin of a River:TheTransport of Timber along the Yahagi River' の和訳。ただし使用図版については一部のみ。(原文は"Intermediate conference TICCIH 2005 TRANSACTIONS"に所収)
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